「バトル・オブ・セクシーズ」
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    2018年8月27日 中洲大洋 監督:ヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン

    この映画をみた少しあとに、大坂なおみとセリーナ・ウィリアムズの全米オープンの試合があって、
    女子テニスの話題がニュースになった。
    映画の主人公でもある女子テニスのかつてのチャンピオン、ビリー・ジーン・キングが試合について言及。
    「女子選手が感情的になると『ヒステリーだ』と言われペナルティが課される。それは男子選手にはない不当な扱い。」とセリーナ・ウィリアムズを擁護した。
    日本では、どうしても大坂なおみに肩入れしてセリーナへの批判的な意見が多かったし、
    どちらかというと日本人もすぐに「女のくせに」という見方をしたがるほうだから、
    新鮮な意見に思えたし、ちょっとホッとした。

    「バトル・オブ・セクシーズ」を見て、映画館でちょっと泣いた。
    てか、帰宅してもずっと泣いてた
    。泣くような映画じゃないよ。むしろ痛快な映画だよ。
    だけどね、女の子は皆戦ってる。かつて戦ってた私を思い出した。
    丁度ニュースになってた、東京医大の不正に寄せられた怒りのハッシュタグの時もこんな風に泣いていたなぁと。
    怒りとか悔しさとか、いまだ克服できない哀しさとかにうちのめされて。

    うちの父は「女には学歴はいらん」と公言する古い人間だった。
    父は私を愛していたし、最後は許してくれるとは信じていたけど、
    自分が選んだ大学に行くこと、というか四年生大学に行くことだけで父との戦いだった。
    ハンストして訴えた私の願いはあっと言う間に叶えられたし、
    結果、何不自由ない大学生活を送らせてもらったことに感謝はしている。
    それでも私は決して忘れない。
    TVにうつる女性政治家や文化人を見るたび、
    「女に学問はいらん」「雌鳥が鳴くとろくなことにならん」と娘の前で言い続けたあなたの言葉。

    平成も終わろうとしている今でも、まだ戦っている女の子がたくさんいる。
    別に女性が男性より上、と言いたいわけじゃない。
    ただ同じ権利を獲得するために、男性を超えるほどの力をださなければ声をあげることすらできない。
    私は父に女子であっても「四年生大学にいく資格があるくらい優秀」を示すために
    トップをとるしかなかったし、実際とった。
    でも、もし私が父に従順な女の子であったら、
    父と戦うのがめんどくさがる性格であったら、
    そしてトップをとる力がなかったら、そんなことを考えながら映画を見たら涙でてきた。
    今の私はすっかりそういう土俵からおりて、自分の能力のすべてを、
    いかにして自分の好きなことだけして生きるか、にそそいでいる。
    でも、戦っているたくさんの女子を思うと全力で応援したいし、やっぱり泣けてくる。
    あの頃押入れで泣いた私。
    試合に勝利してもなお、控え室で一人泣いていたビリージーン・キング。


    | 立石 義江 | 映画観る日々 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    NODA MAP「贋作・桜の森の満開の下」
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      2018年10月25日 北九州芸術劇場大ホール

      満開に花ひらいた桜の大木にしんしんと降る桜の花びら。
      大地の殻を破るように、敷き詰められた花びらから湧くように現れる赤鬼たち。
      冒頭からなんて贅沢な舞台だと思った。
      しょっぱなから既にクライマックスのような美しさ。
      頭の中にイメージした美しい画を惜しげもなく舞台に表現する贅沢さ。

      もちろん役者陣も惜しげもなく贅沢。
      深津ちゃんの圧倒的存在感は文句なしだけど
      その対照のための麦ちゃん・早寝姫の存在とか贅沢すぎる。

      美しい男、天海祐希演ずるオオアマは
      冷徹に国を滅ぼし国をつくる。
      美しい女、夜長姫は妖しく人を煽り、
      愛と憎しみを膨らませ、人を滅ぼす。
      美しい男は鬼なのか?美しい女は鬼なのか?
      人の世界の外から平和に人を羨む鬼たちの姿と比べて
      人の中に住む鬼の怖ろしさ。
      怖ろしいまでの美しさ。
      愛するものは殺すか呪うか戦うか。
      夜長姫のとろけるほど妖しく
      それでいて鋭利な刃物のような言葉。
      花吹雪舞う桜の木の下に
      人は鬼を埋めてきたんだね。
      自分がかつて愛した鬼を、自分の中に住む鬼を。
      だから満開の桜の下ではいつも心がざわつくんだね。


      | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「バーフバリ 王の凱旋 テルグ語完全版」
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        2018年10月22日 ユナイテッドシネマキャナルシティ13 監督:S.S.ラージャマウリ

        いっちまったよ、今年3回目のバーフバリ。
        日頃は同じ映画や芝居を2度3度リピートするより
        新たなものを観るほうが好みなのだが。
        ちょっとお仕事がらみのままならぬことで
        ストレスを感じてたところのでの選択。
        レイトショーでお客さん少なかったのをいいことに
        ひとり小声絶叫上映(笑)。
        声をだして笑うのはもちろん
        「ジャイ・マヒシュマティ」とか「バーフバリ」連呼とか
        ひとり秘かに声にだして鑑賞。
        あー、すっきりした。
        3時間はさすがに少し疲れたけど
        3回みても飽きさせない濃密なつくりはさすが。
        一度めは、父子が同じ顔なのと、回想が長すぎるのとで
        お話を追うだけでせいいっぱいだったし、それが面白かった。
        二度目は、1とのつながりを楽しむ余裕ができて、
        つくりこまれた宮廷の美術や衣装の美しさも堪能。
        三度めともなるとまた別の部分が気になるもの。
        今回は、インド映画の「官能」について思いを馳せた。
        インド映画には直接的なラブシーンはなく、
        ミュージカル部分の歌と踊りの中でそれを匂わすことが多い。
        この映画でも、そういう意味では、
        王国に向かう船の上でのダンスシーンが一番のラブシーンなんだと思う。
        でも今回改めて一番「官能的」だと思ったのは
        その船に乗り込む直前のできごと。
        ボートに乗りこもうとしたデーバセーナがよろけ
        それをフォローしたバーフバリが
        自分の腕と肩を渡し板かがわりにさしだし、
        デーバセーナも堂々とその彼の身体を橋として
        踏みながらボートに乗り込むシーン。
        彼らの今後の関係性やこの後の展開を示唆するシーンであると同時に
        とても官能的やなぁと思った。
        って、ちょっと私のM的発想かしら?

        あと、バラーラがデーバセーナに抱く愛憎入り混じった気持ちは
        たまらん官能的やなと思った。
        バーフバリに彼女を奪われたあとに残された鎖に頬ずりするバラーラ、
        最期に命乞いをするかわりに、「ともに死のう」と言うバラーラ。
        なんてせつないシーンだろうと思ってしまった。

        とりあえず今はエンドレスバーフバリの病が発症して
        バーフバリ1 伝説誕生 が見たくてしょうがない。
        え?KBCシネマで完全版が公開されるとな?
        あー、罠にはまった。思うツボや。





        | 立石 義江 | 映画観る日々 | 08:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |