ベッド&メイキングズ「こそぎ落としの明け暮れ」
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    2019年4月13日 北九州芸術劇場小劇場

    たくさん笑ってたくさんもやもやした。
    いや、いい意味で。
    「みえないものを追いかける」ことの切なさ、
    みえそうでみえない、手に入りそうで入らないからこそ
    また追ってしまう人の性。
    そんなことを考えながら、でもやっぱり見えないものを見たくてもやもやした。
    アフタートークで答え合わせ的に「神様」とか「宗教」みたいな言葉がでてきて
    ちょっと納得した。
    もちろん特定の「宗教」ではなくて、
    何か見えない、でもきっとあるだろうものを信じる力。
    私も神社仏閣で祈ることはあるけど
    それは特定の「神様」に向かってというよりも
    漠然とした大きなものに向かって祈っているような気がするから。
    なんて書くとすごく哲学的なお芝居だったみたいだけど
    実際はすごく笑った。
    噛み合わない会話、男の身勝手、女の妄想,さらに暴走・・・
    作・演出の福原さんが、岸田戯曲賞受賞後初の長編かきおろし。
    出演者の女優さんも、美人・曲者とりそろえて粒ぞろい。
    小劇場をどう定義するかってのは難しいけど
    いわゆる「小劇場系」の劇団が勢いや規模でひとつ超えていけるかどうか
    みたいなタイミングの公演なんだろなぁと思うと
    このタイミングでよんでくれた北九州芸術劇場に感謝。

    | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    ロボットパンケーキZ「新しい日のたんじょう」
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      2018年12月22日 KONYAギャラリー

      ひきこもって暮らす男と
      彼をささえるけなげな少年。
      ひっそりと暮らすアパートに
      乱入してくるやんちゃな兄。
      小さなアパート、小さな世界。
      前半、閉じられた空間の閉じられた会話がちっとも頭に入ってこなくて苦労した。
      世代の違いなのか、あの空間のせいなのか、
      リアルなはずの会話がちっともリアルに響いてこない。
      逆に、お風呂場の人魚や
      どなりこんでくる上の階の住人、
      この小さな空間で違和感のある「異物」ほどなぜかとてもリアルな存在にみえる。
      そして危ない薬というもうひとつの「異物」。
      「異物」に揺れた小さな世界は内側からひっくり返って
      また小さな世界にたどりつく。
      その失望感と安心感。
      あいかわらず、彼らのリアルはちっとも頭に入ってこなかったけど、
      ラストシーン、小さな部屋でさらに小さな世界を見つめる二人が
      いつの間にか少し愛しくみえたから
      まぁそれはそれでいいのかなぁと。
      違和感の塊のような薔薇園さんと
      対照的にほんとに小さく小さく揺れるちるちゃんがよかった。

      | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      柴田智之一人芝居「寿」
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        2019年2月12日 なみきスクエア

        なかなか観たことのないタイプの一人芝居。
        老人介護施設で働き始めたA子さん。
        膨大な仕事量。
        高齢者の性格も、老いの実情もそれぞれで
        それは一人一人違う人間なのだから当たり前のことなのに、
        「一人で一晩、○人の高齢者のケアをする」と
        数字と時間を割り当てられてしまうことの理不尽さ。
        緻密に観察されたお年寄りの生態とA子さんの生活。
        しんどいながらも、柴田さんのキレキレっの演技で
        ユーモラスに描き出される施設の日常。
        「老い」というものが迫ってくるこの年齢になると
        これだけでもおなかいっぱいになるくらいの現実。

        A子さんの担当のお年寄りの一人、B次郎さん。
        学校の先生をしていたという穏やかで知的なご老人。
        B次郎さんとの会話に仕事の疲れを癒されていたA子さんだが
        彼にも老いはせまってくる。
        できないことが増えていき、やがて亡くなるB次郎さんの
        ご葬儀あたりから、お話はいっきにシュールな展開。
        いや、シュールというのも違うかもしれない。
        私の語彙力が足りない。
        B次郎さんのフラッシュバックなのだろうか。
        これまでの人生をたどり、
        思いだし、また忘れ、昇華していくまで。
        魂が肉体を離れ、離れがたくて震え共鳴しあうようなパフォーマンス。
        A子さんの過酷な日常とまっすぐに仕事に向かう姿勢。
        国を信じ、戦争に憧れ、裏切られ振り回されながら生きてきたB次郎さんの歴史。
        そして演者である柴田さん自身の生き様。
        3人の人生ががっぷりよつに組んで
        組んだままのたうちまわるような一人芝居。

        余談ですが、
        客席に1週前に同じなみきスクエアでのヒカリノオト公演で観た顔が。
        確か通りすがりに気になったと言って当日券買ってくれた人。
        あれがキッカケでまたなみきにお芝居観にきてくれたんだったら嬉しいなぁ。

        | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 12:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        コトリ会議「全部あったかいものは」
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          2019年2月10日 ぽんプラザホール

          好みだわー。
          ワハハじゃなくてクククッ。
          しかもいったんツボにはまるといつまでも笑い続けていられそう。
          夜間も操業しているある工場の休憩室。
          夜勤の従業員やバイトが出勤してくる時間だと言うのに
          悪質ないたずらでラインがとまってしまう。
          工場の方へは警察も来て、犯人捜しの騒ぎになってる様子。
          この休憩室に出入りする人たちも疑ったり疑われたりしているというのに
          どこか「他人事」でのんびりした空気が漂う・・・
          いや、この人たちも「マジメ」で「普通」な人たちなんだよ、多分。
          マジメにやればやるほど噛み合わなかったり、
          理屈では説明できない愛情表現だったり。
          不倫だなんだと人間関係はもつれてるけど、なぜか昼メロ的ドロドロはない。
          いや、一周まわってドロドロなのか?
          あー、こういう沼もありだよな、とか、
          ダメンズだけどほっとけないよな、とか妙に納得してしまう。
          最後まで正体のよくわからないフェイスマスク女の存在が気になるし、
          なーんの救いもない唐突なラストがあんまりだという感想もあるようだけど、
          いいんだよ、これでと思えちゃう。
          だって、ゆるーい雰囲気をつくってるようで
          噛み合わない会話の応酬とか
          かなーり細かくつくったんだろうなーってわかるもの。

          本筋とは関係ないけど
          ちょうどこの芝居見るちょっと前に
          「悲鳴がだせる女優はいい女優」みたいな趣旨のつぶやきをTwitterで見ていて
          いい悲鳴ってどんなんよ?って思ってたけど
          耳に残るいい悲鳴聞かせてもらったわー。

          | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          飛ぶ劇場「わたしの黒い電話」
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            2018年12月17日 アイアンシアター

            大事な人が消えた時、人はいつまで覚えていられるんだろう。
            いつまで覚えてないといけないんだろう。
            そして逝ってしまったその人は私のことを覚えていてくれるんだろうか?
            死は誰にでも訪れるし、突然にプツリと断たれる命もあるけれど
            「生」と「死」の境目は、逝く側にも残される側にも
            そんなにはっきりとした境界線はないのかもしれない。
            魂?私は何かの宗教に信心深い人ではないけれど
            ナマハゲも座敷わらしも、多分神様も
            その境界のグレーな部分にいるものの存在は信じたい。

            いつの頃からか電話のベルが鳴ると
            ちょっと気持ちがザワっとする。特に夜は。
            メールで連絡をとることのほうが主流になってしまってからかな。
            電話をかけてくるほど、急ぎだったり、不測の事態だったり
            何かあまりよくないことなのじゃないかしら、といういやな予感。
            その一方で、若い頃は夜の電話は楽しみのひとつだった。
            昼間実際に会っておしゃべりしたはずの友人や男友達と
            なぜかまた電話で話す。
            わざわざ電話で話すほどでもない、なんちゃない話。
            なぜかいつまででもしゃべっていられる。
            舞台におかれた黒い電話は
            私にその両方を思い起こさせた。
            電話のベルの不吉な予感と、
            なんでもないことをわざわざ電話で話す小さな幸せ。
            決してハッピーエンドではないラブストーリーだったけど
            遠くにいるからこそ想う気持ちは切なくて、
            なんだか最後はほっこりできてよかった。

            | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            二兎社「ザ・空気ver2」
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              2018年8月25日 北九州芸術劇場中劇場

              演劇が最後のメディアになるかもしれないと思った。
              社会に向き合いリアルタイムに時代を反映するメディアとして、
              ましてや政権批判を含む政治的な問題をもアイロニカルに取り扱えるメディアとして。

              マスコミの政治に対するいわゆる「忖度」を真正面から扱った作品。
              舞台は国会前広場を見下ろす国会記者会館の屋上。
              現首相になんらかのスキャンダルが発覚しての記者会見当日。
              記者会館のコピー機に置き忘れられていた質疑応答対策のペーパー。
              首相を問い詰めるべきマスコミが記者会見をのりきるための対策を首相に流していた?
              大手メディアに弱小ネットテレビ、ベテラン記者に駆け出し記者。
              様々な圧力や忖度の中、立場の違う記者たちがこのペーパをめぐっての右往左往。
              書くべきか?書かざるべきか?

              どう見ても怪しい動きの大手新聞社デスクに松尾貴史さん、てか
              やっぱりキッチュさんって書きたくなるよね。
              彼のところに政府要人からじゃんじゃんかかってくる電話。
              固有名詞は出してないけど、彼のモノマネで明らかに
              安倍さんや菅さん、麻生さんであることがわかる。
              この役を、普段から政権批判のコラムなども書いてる松尾さんがやるところに
              二重三重のアイロニー。
              彼がやると、どうしたって悪党なこのデスクが小ずるいコモノ感を漂わせ
              それがまた、さらなる皮肉になってる。
              現状ではテレビや映画では、まさに忖度がんじがらめでできないことを
              やってくれる爽快さ。
              もちろん、何もかもハッピーエンドとはいかない。
              でもどこか諦めムードの現状に、諦めてはいけない、という投げかけと
              諦めなければ変わる、というほんの少しの希望。

              この作品と関係者が「読売演劇大賞特別賞」「毎日芸術賞」と
              新聞社系の賞をとったのもこれまた皮肉な話。
              おたくのデスクがこんなことしてないと言い切れますかー?
              それでも、やっぱりこの受賞をも希望のひとつと思いたい。


              | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              下鴨車窓「微熱ガーデン」
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                2019年2月9日 ゆめR大橋

                穏やかそうな劇団名とタイトル、
                作家さんの風貌をからぼんやり連想していると、
                なんか裏切られたようなサスペンスフルな展開。
                会場に入ると8畳ほどの空間に長机と鉢植えの緑がいっぱい。
                これも、一瞬「癒し系」かなぁなんて騙される。
                てか、まず「え?どこで芝居するの?」って思うよね。
                長机の前後と間、椅子が置ける空間が少しだけ。
                会話劇だからこれで成立するっちゃするわけだけど、
                初めはちょっとびっくりした。

                大学から離れた田んぼの中のアパートで植物を育てている女子大生の結。
                その仕事を紹介したらしい友人の理奈。
                二人の会話は何かヤバい雰囲気。
                警察、下の階のおじいちゃんの孤独死、
                ばれてはいけない植物の特別な匂い・・・
                おじいちゃんの部屋の片づけにやってきた孫の野間を
                部屋にいれたあたりから崩れていく結と里奈の秘密。
                実際は、とっくに危ないことになっていたのに。
                てか、おじいちゃんが一番危ない人だったてのが衝撃でした。

                ラストシーンは、二人がヤバい植物を栽培し始めた時に時間を戻して。
                無邪気な二人の会話。
                二人の笑顔を救いにしていいのか、むなしく感じていいのか。
                現実には二度とは戻らない時間、二人はこの笑顔を取り戻せるのか。

                | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 10:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                「消えていくなら朝」
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                  「消えていくなら朝」
                  2018年8月12日 そぴあ新宮

                  ずしんと重い家族の話。
                  でも家族ってそうだよね。
                  「家族はいいもんだ」、なんて簡単には言えない。
                  家族だからわかりあえないこと、
                  家族だからぶつけあってしまう毒ややっかいごと。
                  それでもずっと関わっていかなきゃならない。

                  女優の彼女を連れて久しぶりに帰省をした中年の劇作家。
                  結婚して家をでている兄、近くで一人暮らしの妹、
                  父親が母親と離婚したいと言いだしたことで久しぶりに集まった家族。
                  ぎくしゃくとした会話、長年のわだかまり。
                  新興宗教にはまり、息子たちまで巻き込んでのめりこんできた母親。
                  こどもの頃から母親に連れまわされ母と共に宗教にのめりこんだ兄と
                  宗教を否定して家をはなれた弟。
                  父親は妻と息子を諦めたように娘を溺愛し、
                  その期待からぬけだせず、自分の意志を失う妹。
                  そして、劇作家の「この家族のことを戯曲に書きたい」という言葉が
                  家族の中で新たな渦を巻く。

                  主役の職業が「劇作家」であるということは
                  この家族の姿はきっと蓬莱さん自身の家族の姿の投影なのだろう。
                  劇中の劇作家は本を書くことをまだ迷っているラストだったけど、
                  この劇中の作家が書いたのがこの作品、とうことなのか。
                  ここまで赤裸々に自分の家族のことを語れるのかという重さ。
                  でも、いい大人になった今だからこそ
                  劇作家である蓬莱さんだからこそ
                  こどもの頃からもやもやとしてきたものを
                  ちゃんと「言葉」にできることの凄さよ。
                  その「言葉」を持たず、ただ傷つくしかなかったこどもの頃のことを思い出して
                  なんか泣いてしまった。
                  いや、別にうちの母親は宗教にはまりはしなかったし、
                  毒親でもないし、普通の家族なんだけど。
                  「普通の家族って何?」だよね。

                  劇作家・女優という仕事柄、どうしても言われる言葉。
                  「お前は好きなこと仕事にしてていいねぇ」
                  「いい女優さんなのに、なぜ売れてないの」とか、
                  演劇人には痛い言葉の数々もあえてぶつけてくる蓬莱さん。
                  「別に楽してるわけじゃないよ」とか
                  「TVに出てる人だけがいい役者じゃないよ」とか
                  言いたいことは沢山あるけど、呑みこむことに慣れていくのよねぇ段々と。

                  ぶつけあう言葉の先に、100%の理解もないけど
                  もう一緒に仲睦まじく暮らすってこともないけど
                  断ちきれない何かをひきずってても
                  家族は家族。

                  | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  ヒカリノオト「さよなら、サンカク。」
                  0
                    2019年2月7日 なみきスクエア

                    もう、この作品に関しては正直客観的な目でみられない。
                    初演時に今までにない難しい役をもらって
                    今回もスタッフとして受付まわりも手伝わせてもらって
                    ほとんどうちわなんだから、純粋に観客としての感想にはならないけど。

                    冒頭、二組の親子が会話がだんだんと重なりあっていき
                    しまいには大音量の中で明子と正輝が走り、踊るシーン。
                    初見の人ならポカンとしてしまうだろうあのシーンでもう滂沱の涙。
                    これから、いや、これまでの明子の身に起きたことを思って
                    既に冷静ではいられない。
                    明子があの5年間を思い出す時、彼女の頭の中はこんなカオスな状態なのだろうか。
                    初演時は、登場人物の一人として没入しすぎて見えなかったものが
                    見えてくる、というより迫ってきて
                    でも鶴子としての気持ちも自分の中のどこかに残っていて
                    私の頭の中もカオス状態。

                    初演時と会場の広さが違うこともちゃんと生かしてた。
                    あの茨で囲まれたような部屋への廊下。
                    客席と舞台の距離があることも観客にとってはよかったかも。
                    初演時はあの空間の閉塞感があまりに辛かったという声もあったしね。
                    ちょっと俯瞰で見られたことで、
                    明子以外の人物にもそれぞれの思いや立場があることがより明確になったよう。
                    何よりキビるフェスという、他地域からの劇団も参加する場で
                    福岡の劇団のひとつとしてこの作品が紹介されたことが嬉しい。
                    ほのぼの路線の作品もあるヒカリノオトさんですが
                    福岡にはあまりないタイプの芝居としてこの路線も
                    推していきたいなぁ、なんて個人的な好みですけど。

                    | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 22:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    こふく劇場「ただいま」
                    0
                      2019年2月1日 パピオビールーム
                      ここちいい。
                      ちゃぶ台のある懐かしい光景。
                      からくり人形のような整然とした役者の動き。
                      歌うような宮崎弁のイントネーション。
                      すべてがここちいい。

                      当たり前のような人の営み。
                      出会って結婚して子供ができて年寄りが死んで。
                      でもそれぞれの胸にはそれぞれの思いがあって
                      それもまた当たり前のことなのに
                      人はその思いを日常の中に埋めようとする。
                      失くしたものへの熱い憧れ、苦い後悔、伝えきれなかった温かい思い。
                      胸に渦巻く思いを抱えて
                      それでも野菜を刻み、魚を焼き、日々を過ごす。
                      ああ、私も生きているね。
                      ていねいに生きていきたいね、と沁みていく思い。

                      まるで合唱でもしているようなコロスのセリフ。
                      あえてセリフと切り離したような動きの繰り返しは
                      ちょっと維新派も思い出したな。
                      脚本はどうなってるんだろう?とか。
                      ユニゾンの美しさという意味では
                      おこがましいけど、私たち月光亭の4人落語も思い浮かべた。
                      人の声が重なり合うここちよさ。

                      | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 14:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |