ゼロソー「ピッチドロップ」
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    2017年7月17日 アイアンシアター

    熊本の劇団ゼロソーさんが
    震災の当事者だからこその新作で3都市ツアーとな。
    本当はホーム:熊本で観たい気持ちはあったんだけど
    日程あわず、一番近いツアー最終地北九州での観劇。
    地震を経験したからこそのリアルな痛みと
    現地熊本にいてさえ、被害の大小で感じる罪悪感や疎外感。
    それでいて、たくさんの愛と笑いの詰まった作品。

    「頭だけで生き残った女」
    まるで落語のようなシュールでとんでもない設定に
    なぜか納得させられてしまうのは
    たぶん地震によって「まさか自分の身にこんなことが起こるとは」ってことが
    本当に起こってしまったからなのかしら?
    松岡さん演じるホトリが底抜けに明るく、それがむしろリアルだったからかしら?
    昨年の7月にゼロソーさんのアトリエ花習舎さんに月光亭で落語に伺った時の
    彼女が、避難所をまわるボランティアに、劇場や公演活動の継続にと
    笑顔で駆け回っていた姿を思い出す。
    もちろんもともとの彼女の性格もあるんだろうけど
    あの地震を経験したことによって
    「笑える時、楽しい時をより一層楽しもう」みたいな気持ちがあったのかなぁなんて。
    実際、ラストはホトリや事態を受け止めきれなかったホトリの妹が
    気まずい時間をへて笑顔を取り戻したところで終わる。
    あのちょっと不謹慎(?)な笑いや最後の笑顔を
    熊本の人たちはどう受け止めたのか、やっぱり熊本で観たかったななぁ。

    避難所ですごす夜の話や
    救急車が来て自分の身体の死を確認する話。
    そして、旦那と自分の葬儀の相談をしたという話。
    ホトリの頭が見ているものは
    地震で突然の死を迎えてしまった被災者の方や
    その家族の方が見ているものなのかなぁ。
    受け入れられない突然の出来事を
    「見て」はいるけど、何にもできない・・・

    これは作品の一番肝の部分じゃないかも知れないけれど。
    頭と身体のことをとりとめなくぐるぐると考えた。
    実際ホトリのセリフの中にも
    残ったのが頭でよかった、とか
    身体がないから記憶が失われるってことはないだろうけど頭だけじゃなくて
    身体が記憶していたこともあるかもと一生懸命いろんなことを思い出している、とか。
    頭があるってことは感情や言葉があるってことで。
    人にとっての頭と身体。
    役者にとっての頭と身体。
    だってセリフに限らず日常生活だって感情が動けば身体も動くでしょ。
    身体がすくんだり、思わず手ぶりつけてしゃべったり。
    ファントム手足。
    これだけ感情がたかぶっているホトリの妄想の身体は今動いているのかな。
    松岡さんはどんな感じで演じているんだろうか。
    見えているのは首だけとは言え、肩を動かしたら動きが響くだろうし
    でも、思わず小さく身体動かしたりしてるんだろうかとかね。

    | 立石 義江 | 芝居観る日々 | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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